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マインドフルネス・瞑想・坐禅


パニック障害のマインドフルネス・瞑想・坐禅

英語

Mindfulness/meditation/zazen

公開日:2021/07/06 | 更新日:2025/03/29

執筆者

井出井出 貴之(鍼灸師)プロフィール

マインドフルネス・瞑想・坐禅

瞑想って何?

マインドフルネスと坐禅の違いは?

とりあえず・・・坐ってみよう。

坐禅

坐禅は、様々な感情や考えが浮かんできて、あれやこれやとそのことについて引き込まれ考え込む、といった忙しい頭、考え込んでしまっている自分に気がついたらすぐに、「今は坐禅して座っている」と言うことだけに集中し、その忙しい頭を「座っていることに集中し直します。」

この繰り返しです。

坐る時間は、10分でも20分でも1時間でも大丈夫です。

毎日、決まった時間に、するのが大切です。

朝1回、夕方一回、寝る前に一回、など生活リズムにそって行うのも良いでしょう。

マインドフルネス・瞑想・坐禅

坐禅のやり方

坐禅の基本


①立ったまま自分が座る場所に一礼します。



②背筋を伸ばし、体の力を抜いて、背骨の骨組みに乗るようなつもりで座ります。

椅子に座る場合は深く腰掛けます。

床に直接座る場合は、お尻の部分だけに座布団を敷き、あぐらをかくような格好で、右足を左の太ももの上に乗せ、

坐布



左足を右の太ももの上に乗せます。

体が硬くてできない場合は、あぐらをかくような格好で、左足を右の太ももの上に乗せます。

結跏趺坐



③手はひざの上にかるく置くか、

右の手の平の指の上に左の手の指の裏を重ねて、両方の親指を合わせて、卵型の形をつくり、

おへその下あたりのところに置きます。

考え事などで心身がガチガチに固まっていると、この卵が崩れます。

また、居眠りなどで心身がフニャフニャになっても、この卵型が崩れます。

法界定印



④目は半分閉じた状態で斜め45度前の方にむけます。



⑤坐禅の基本は「整身、整息、整心」を同時に行じます。
 

「整身」は坐禅の姿勢のまま身体を前後左右に揺らして身体をほぐし、

最終的に天井と床から引っ張られるように、骨組みに乗る姿勢に落ちつきます。


「整息」は最初身体を前に揺らす時、息を口から吐き、姿勢を元に戻す時、鼻から吸います。

身体を後ろに揺らす時、また息を口から吐き、姿勢を元に戻す時、鼻から吸います。

これを、前後左右、同じように呼吸します。

最終的に天井と床から引っ張られるように、骨組みに乗る姿勢に落ちつき、呼吸が整ってきたら、鼻だけで呼吸します。


【腹式呼吸】

坐禅は腹式呼吸が基本です。

肩を動かして肺で呼吸する感覚ではなく、

おへその下で呼吸をするイメージです。


「整心」は整身と整息をすることで自然と整っていきます。

(その逆も然りです)



⑥座っている途中、様々な考えが浮かんできますが、ただ静かに眺めるだけで、考えを追ってあれやこれやと考え込むのを避けます。

あれやこれやと考えこんで、「あれをしわすれていた」と立ち上がったり、スマホをいじってしまったりするとNGです。

これは「乱心→乱息→乱身」の方向性です。

あたまに振り回された結果、呼吸が乱れ、「乱身」が過ぎれば病気の症状として表れます。


電子機器の電源はできるだけオフで、静かな環境でおこないます。



⑦途中考え込んでしまっている自分(あたまに振り回されている自分)に気づいたらすぐに最初の「整身、整息、整心」を行じます。



⑧基本的には「一炷(いっちゅう)※」坐り終わったら、立ち上がって、坐っていたところに一礼します。

※一炷とはお香一本が燃え尽きる時間、40分程度ですが、これといった決まりはありません。



⑨その後、呼吸を整えながら、胸を張って、アゴを引いて、静かに数分ゆっくりと歩きます。歩くのは室内でも屋外でも構いません。歩いているときも「整身、整息、整心」を意識します。



⑩以上を時間がゆるせば繰り返します。



この坐りを基本にすることで自然と日常生活に応用されます。

「整身、整息、整心」

Mindfulness

マインドフルネスは、本来は「今、この瞬間に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」という概念で説明されます。


このマインドフルネス瞑想の考え方は新しいものではなく、3000年以上の歴史を持つ東洋の仏教的な瞑想、坐禅を基本としたものです。

瞑想の2つの流れ

①仏教本来の瞑想・坐禅は、達成すべき特定の目標を持たずに実践されます。

真実の坐り
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②現代の医療行為としてのマインドフルネスは、仏教本来の瞑想、坐禅から派生してアメリカで生まれたもので、特定の達成すべき目標をもって行われます。

(アンチエイジングのため自己啓発のためなど)

一般的にマインドフルネス瞑想と呼ばれるものには、大きく以上の2つの流れがあります。

以下、マインドスルネス、瞑想、坐禅について解説します。

マインドフルネスストレス低減法(MBSR)

医療行為としてのマインドフルネスは、禅を学んだアメリカ人分子生物学者のジョン・カバット・ジンが、1979年にマサチューセッツ大学で、心理学の注意の焦点化理論と坐禅を組み合わせ、臨床的な技法として体系化し、マインドフルネスストレス低減法(MBSR)を始めたことから始まりました。


マインドフルネスストレス低減法(MBSR)という新しい精神療法の基本理念は道元禅師の禅の流れを受けています。

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスの語源

もともと、マインドフルネス(mindfulness)という用語は、

仏教用語のサンマ・サティ(Samma-Sati)

「正念、正しいマインドフルネス」から来ています。

サンマ・サティは「常に落ちついた心の行動(状態)」を意味します。

サティはいくつかの仏教の伝統における重要な要素で、全てが相互につながりあって生起している(縁起)、といった認識に基づいて行動する意味を含んでいます。

マインドフルネスの語源

マインドフルネスを道具として使う

西洋には仏教的な歴史が浅く、マインドフルネスは仏教の全体的な真理とは切り離され、「心理学的なスキルの一つ」として受容され、展開してきた傾向があります。

ですので、西洋の世俗的なマインドフルネスは、「わたし」を中心に据えた自己中心的な自己修養、自己増進のためのものと理解され、実践されている傾向があります。

本来のマインドフルネスはこの「自己中心的な自己修養、自己増進のためのもの」という殻を破り、自らの都合や立場を離れ、全体に溶け込む働き(縁起)としてあるものです。

本来のマインドフルネスを西洋が誤解する背景には、仏教のいう全体としての「自己・無我」に適する言葉が無く、SELFという全体から切り離された「自分・自我」と訳して伝わってしまっていることがあげられます。

マインドフルネスを道具として使う

豊かさゆえの悩み

2000年代に入るとアメリカでは仏教や東洋の思想実践への興味が高まり、マインドフルネス瞑想が注目されるようになりました。

物質的には豊かになったはずのアメリカ社会で、ドラック中毒、奪い合い、殺し合いが絶えない中に、何かが欠けているのではないかといった感情を抱いて坐禅を始める人々が増えています。

マインドフルネスのメジャー化

マインドフルネス瞑想は、心理的・身体的健康、良好な人間関係、的確な意思決定、仕事・学業成就、生活の向上などに効果があるとして注目されています。

2016年後半にApple社の「iPhone」にヘルスケアアプリ「マインドフルネス」のカテゴリが追加され、急速に一般化してきています。

実は、Apple社を創設したスティーブ・ジョブズも禅に傾倒した仏教徒であったといいます。

そういった流れもあり、マインドフルネスの名称を利用し、本来のマインドフルネスとはかけ離れたマインドフルネスビジネスも生まれています。

マインドフルネスの社会利用

マインドフルネスに基づく医学的な介入は、うつ病や不安などの心配を減らすのに有効であるという複数の研究結果が示されています。

現在米国において、マインドフルネス瞑想のプログラムは、学校、病院、刑務所、福祉施設などにも広く採用されています。

マインドフルネスのプログラムは、健康的な老化や周産期への介入、特別なニーズをもつ子供への支援などにも適用されています。

マインドフルネスの瞑想エクササイズ

マインドフルネス瞑想は、今現在に注意を向ける能力を発達させることを目的としています。

マインドフルネス瞑想をするためにデザインされた瞑想エクササイズには様々なものがあります。

呼吸に集中する方法

椅子に座るか、床やクッションの上に脚を組んで座り、目を閉じて、呼吸の感覚に注意を向けるという方法があります。

その際に注意を向ける対象は、鼻孔の近くでの呼吸の感覚か、腹部の動きです。

呼吸をコントロールしようとせず、自分の自然な呼吸のリズムにただ気づきます。

この時、心が、他の考えや連想へと流れていくことがよく起こります。

それが起こった場合は注意が散漫になっているということに気づき、注意を呼吸へ戻します。

ボディスキャン瞑想

ボディスキャン瞑想は、身体の様々な場所に注意を向けて、その時に起こっている身体の感覚に気づきます。

例えば、ヨガもボディスキャン瞑想の一つです。身体の動きや身体感覚に注意を向けます。

さまざまなマインドフルネス

マインドフルネスには、歩く瞑想(ウォーキング・メディテーション)や、

音、感覚、思考、感情、動作などに注意を向けるものもあります。

レーズンをマインドフルに注意深く味わうマインドフルネスは、

ジョン・カバット・ジン氏がマインドフルネスストレス低減法のプログラムとして導入しました。

Mindfulness という言葉の意味

Mindの語源は、古代英語の「gemynd」に由来しているといわれています。

この言葉は、「思い出すこと」や「意識」を意味していたようです。


また、古ノルド語(現在の北欧)の「munr」や古ドイツ語の「munt」も関連していて、これらは「思考」、「感情」、「記憶」を表しています。


ful は「~で満ちた」を意味する接続語です。

full(満ちた)という単語もありますが、接尾語として使われる場合はスペルが”ful”となります。


nessの語源は、古英語の「-nes」という接尾辞から来ています。

この接尾辞は「状態」や「性質」を表す役割を果たしていました。


つまり、マインドフルネスという文字は、「思考・感情に満ちた状態」ということが読み取れます。



これは、「瞑想」という文字のもつ意味とは対極であることがうかがえます。

瞑想(めいそう)の意味

瞑想という意味を考えたことがあるでしょうか。

「静かに落ち着いて坐る」といった感じでしょうか。


では「瞑想」という漢字の意味を考えたことがあるでしょうか。


瞑とは①暗闇②はっきり見えない③死んで永眠すること、などの意味があります。


暗闇や死を想像するのが瞑想ということになります。

不確かで不安なことのように思えます。


「思考・感情に満ちた状態というマインドフルネス」とは対極の

「死んでいて思考・感情の無い状態」が瞑想ということになります。


普段どれだけの人が自分の死を意識して生活しているでしょうか。

頭でわかっていたつもりの死と実際の死・・・


死を実感したときにみえてくる人生とはどのようなものでしょう。

Meditationとは

瞑想を英訳するとMeditationと訳されます。


Meditationの語源は、ラテン語の “meditatio” から来ています。

これは “meditari”(深く考える、熟考する)という動詞から派生しています。

さらに遡ると、インド・ヨーロッパ語族の “med-”(測る、考える、思索する)という語根に由来します。

Meditation の本来の意味

“meditari” は「何かを繰り返し考える」「深く熟考する」という意味で使われていました。

キリスト教の修道士たちも、聖書の言葉を反復しながら黙想する行為を “meditatio” と呼んでいました。

Meditation の現在の意味

現在では、以下のような2つの意味が含まれています:

1.西洋的な意味(熟考・内省)
何かを深く考えたり、哲学的・宗教的に思索すること。


2.東洋的な意味(瞑想・精神統一)
心を静めたり、意識を集中させたりする実践。


つまり、元々の「meditation」は単に「深く考える」という意味でしたが、後に仏教・ヒンドゥー教等の影響を受けて「意識を鎮め、集中する行為」として広まりました。

「Meditation」と「瞑想」は、語源をたどると正反対

• Meditation(メディテーション) → 「深く考える」「熟考する」(ラテン語 meditari = 考える)

• 瞑想(めいそう) → 「目を閉じて静かにする」「無に近づく」(「瞑」= 死、「想」= 思い)

つまり、

• Meditation は「意識的に考えること」

• 瞑想は「考えを手放し、無になること」


元々は逆の意味を持っていたわけです。

なぜ「瞑想」が Meditation と訳されたのか?

これは、仏教やヒンドゥー教の「ディヤーナ(dhyāna)」を西洋に伝える際に、適切な訳語がなかったためだといわれています。

ディヤーナは「集中して思考を鎮める」実践ですが、当時の西洋にはその概念がなく、キリスト教の「黙想(meditatio)」に近いものとして翻訳されたのが始まりです。

結果として、「meditation(熟考)」が「瞑想(思考を止める)」と訳され、現在でも誤解されたまま訳されています。

瞑想とMeditation

瞑想とMeditationは「見た目は似ているけど、中身は真逆」と言えます。


• 表面的な行為は同じ
→ どちらも「静かに座る」「目を閉じる(ことが多い)」「内面に意識を向ける」

• 中身(目的・プロセス)が真逆

→ Meditation(熟考) は「何かを意識的に考える・内省する」

→ 瞑想(無想) は「考え(執着)を止めて、無になる・手放す」


つまり、同じように静かに座っていても、「考えるために座る」のか「考えを手放すために座る」のかで、本質的に全く違うことをしているわけです。

「マインドフルネス瞑想」とは

マインドフルネス(mindfulness) は仏教の「サティ (sati)」という概念をベースにしていて、これは「気づき」や「覚醒した意識」を意味します。


一方、瞑想は「ディヤーナ(dhyana)」という概念から来ていて、これは「深い集中」や「無我の境地」に至るものを意味します。


「マインドフルネス=気づき」「瞑想=静寂・無」なので、正反対の要素を持っています。



「マインドフルネス瞑想」という言葉は、西洋が仏教の概念をアレンジした結果生まれたもので、厳密に定義が統一されているわけではありません。


マインドフルネル瞑想とは「仏教由来の教えの一部をテクニック化して科学や医療、自己啓発と結びつけたビジネスモデル」と考えたほうがしっくりくるかもしれません。

本来のマインドフルネス(サティ) V.S. 現代のマインドフルネス

本来のヒンドゥー教・仏教的なマインドフルネス(サティ)は、「執着を手放し、今この瞬間をありのままに受け入れる」ためのものです。


しかし、現代のマインドフルネスは、

「ストレスを減らしてうつ病の症状を軽減しよう」

「健康や成功のために集中力を高めよう」

「メンタルを強くして自分を高めよう」といった、「何かを得るための手段」として使われている傾向があります。



これは、「執着をなくす」どころか、「執着を維持・コントロールして強化する」方向になっているという矛盾があります。


本来の瞑想は、「何も求めず、ただ存在する」ことを目指します。

でも、現代のマインドフルネスは、「もっと健康になりたい」「もっと充実した人生を送りたい」という願望を叶えるためのツールになっています。

「ストレスをなくして健康になりたい」という執着

「集中力を高めたい」という執着

「不安を消したい」という執着

これらがある限り、どれだけ瞑想をしても「執着の中にいる」状態です。


病(やまい)の方向とは?

乱心(執着)→乱息(自律神経失調)→乱身(病気)です。


現代のマインドフルネスが「執着を強化するためのツール」になっているなら、それはバランスをさらに乱す方向=病の方向に進んでいるとも言えるのではないでしょうか。

「マインドフルネスを使ってバランスを取り戻したい」という思考自体を手放すことが本来の坐禅・瞑想です。

禅の背景

「禅(ぜん)」という言葉は、もともとはサンスクリット語(古代インド・ネパールで使われた)の「dhyana、ディヤーナ」という言葉からきていて、これが中国に伝わって「禅那(ぜんな)」と音訳され、略して「禅」となりました。


「dhyana」は、動詞「dhyai (ディヤイ)」に由来し、「深い集中」や「無我の境地」といった意味を持ちます。


「dhyana、ディヤーナ」はインドの古代宗教(ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教)で瞑想を指す用語として使われてきました。


インドで発祥した「dhyana」が、中国に伝わり「禅那」になり、その後、洗練され日本に伝わり結晶化したものが禅だといえます。

禅という文字の意味

「禅」左側の「ネ(示)」は供え物を捧げる台を表す部首です。

「ネ(示)」は、礼儀、神、祈り、福、などの神聖なもの(大自然)を意味します。

「禅」右側の「単」は単純の単、「まっすぐで余計なものがない」という意味があります。


ネ(大自然)・単(まっすぐで余計なものがない)


したがって「禅」は「大自然を行ずる」という意味にとらえることができます。


大自然の横で余計な執着を手放して無我に近づき、「大自然と一体化する」といった感じでしょうか。


これが、自然を感じながら乱心を手放して、身を整え、呼吸を整える、

つまり

整身→整息→整心の方向です。

真実の座り

悟るため、パニック障害を克服するため、うつ病の再発を防止するため、病気を治すため、

効果があった、なかった、

という自分の目的のために使う坐禅を、本来の仏教では野狐禅(やこぜん)といって戒めています。


パニックで辛いなら辛いなりに、鬱でしんどいならしんどいなりに、自分のああしたいこうしたいをデキルダケ離れて、禅(大自然)の方に身をゆだねる(禅にあやつられる)方向性が本来の坐禅です。

つまり、薬のようなつもりで坐禅を使っているうちは、見た目は同じようでも、まったくもって禅本来の形ではないということなのです。


この根本をあやまったまま、我の内を垣間見ないまま、

坐禅で薬で病気を治して楽になろう、自分の思い通りにしようと、症状を操つろう(コントロールしよう)としているその気持ちそのものが、

執着であり、乱心であり、

病(やまい)の気なのです。


医療や瞑想ビジネスの一環として使われているマインドフルネス・瞑想と、本来の坐禅・瞑想との別れ道は根本的なところにあります。




たった一人でも、


損も得も手放して、


棺桶の中にいるつもりで、


今、ここで、ただ坐らざるをえない、何のためでもない坐りです。


あたかも、

崖の途中に咲く一輪のタンポポのように、


誰にみられるわけでもなく、

誰にみせるわけでもなく、


ただ独り、

時に雨風に耐え、月の光にてらされながら、


太陽に向かう坐り(生き方)です。

パニック障害 瞑想

禅の習慣

最初は、1日に10分間程度の短い時間で瞑想を始めるよう推奨されます。

定期的に身をもって実践することが大切です。

マインドフルネスの習慣

パニック障害の根本治療

「その発作、“あなたの内側”からのサインです」
パニック障害の根本治療
パニック障害の根本治療
プログラム

セルフチエック

うつのセルフチェック

不安性格のセルフチェック

今の不安感のセルフチェック


対面のカウンセリングの重要性

電車や人混みがつらくて外出が怖いと感じても
心療鍼灸

オンラインではなく
対面でお会いすることが大切な理由

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参考文献

こころのクスリBOOKS よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD
(著)貝谷 久宣(監修)
主婦の友社
2018年09月29日発行

スタンフォード大学 マインドフルネス教室
(著)スティーヴン・マーフィ重松, (翻訳) 坂井純子
講談社
2016年06月29日発行

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関連外部リンク

Mindfulness exercises
Mayo Foundation for Medical Education and Research (MFMER).

What is mindfulness? - Mind
Mind

Mindfulness
American Psychological Association